藻岩山とビール園
休みの日に、相方とワンと一緒に藻岩山にのぼりました。
あの三浦雄一郎がエベレストにのぼる前にトレーニングしていた由緒ある(?)、札幌市民に一番親しまれている山です。私も一昔前、毎日のように中腹までのぼって減量させてもらった山です。
遠く石狩湾をのぞみます
自宅に帰ってきたら玄関に『〇〇参上!』の手紙とともに、上のお菓子がドアのノブにぶら下がっていました 笑
20数年ぶりに会うことになる、学生時代の後輩からでした。彼をはじめとする10名弱で自転車で本州縦断(下関から大間まで)をした仲でした
大通公園で
札幌ビール園で
後輩御夫妻と私たち夫婦4人で。お互いの夫婦とも学生時代からの付き合いからの結婚で、話が盛り上がりました。また後輩の奥様は教育関係の職で、その関係の話を久しぶりにして、すっかり私の好きな時間にしてしまいました。すみません‥。
必ずの再会を約束して別れました。ほんとうにありがとう!
私は長野県で10数年教諭をして、札幌に帰ってきました。その間、寝ること以外はすべてと言って良いほど教育にのめり込んでいました。。なぜやめたの?しかし聞いたら悪い?という雰囲気を会う人たびに醸し出されるのですが‥(困ったw)現状把握して手だてを実行する教育パターンに慣れきってしまって、プライベート面での課題に対して、その手だてとして退職することは青天の霹靂ではなく、半年から1年ほど試行錯誤した手だてで淡々としたものでした。逆に生き直しができる、2倍楽しめるとニヤニヤ(半分不安でしたが)と相方と乾杯したものでした。
そうして教育に関しての圧倒的な自信と自惚れ、そして家族を全く顧みなかった罪悪感を抱えて故郷に帰ってきました。
その経緯で友人関係の付き合いをせず、娘が小学生時代の6年間は、家族とともに平日から週末を一緒に過ごしました。(そのため自分の仕事も自営にして平日夜仕事場でも一緒に過ごせるようにしました)家族のつくり直しだったかもしれません。それだけに後輩が覚えていてくれて来てくれたのは、驚きと感謝の気持ちでいっぱいです。
娘が中学、高校時代は、自分の趣味の自転車をやらせてもらいました。体重がありすぎたので、はじめは藻岩山のぼりからはじめました‥。家族に対しての責任もあって、糖尿病にならないための減量も兼ねていました。
娘が大学時代は、経済的な面や自分の椎間板ヘルニアからくる歩行困難→手術もあり、自転車はお休みにしていました。
そして現在、再び動けるようになり、活動しています。
仕事はこちらに来ても、やはり教育関係の自営をしました。1年後の存続率は5%、10年後は1%以下と言われる業界で、17年間やって来られたのは、教育県と言われる長野県で諸先輩や子たち、保護者の皆さんに教えていただいたためだと思っています。
過去の感謝もそうですが、現在の子たちや保護者の方に対しての感謝があって存続できたと思っています。感謝が自営を続ける秘訣だと実感しています。あといつでもピンチでニヤニヤするの自分のモットーも役立ちました。
あまりにも楽しくて、仕事が趣味になってしまいがちなので、自分で子たちの人数を25名を下回らないようにと密かに決まりをつくって続けてきました。また55歳になったときに引退することも、昔からのの理想としてきたので、その前から3年をかけて『やめます』と宣言し、徐々にクラスを減らし、閉じました。しかし仕事をなくすると、どうにも自分的にはおもしろくありません。そんなことやめてから気がつきました。やはり仕事人間なのです。笑
プライベートでも、第二の人生を選んだからこそのことができ、仕事でも学校教育とは違ったアプローチで極めることができて、ほんとうに幸せでした。
このブログも感謝に近い、『あこがれ』『共感』をブログにのせていきたいと
考えています。
よろしくお願いします。(^^)
恵庭ー追分 平坦を探して
49km
情けないことに今の体重では膝に負担がかかりすぎます。アイシング途中なので…
今回は平坦を探して、これまた懐かしい恵庭へ ほのかの湯からスタート
平坦を探すと、必ずと言ってよいほど強風にぶつかります 笑
追分の『ラーメン瀧』で。 チャーシュー麺 塩
美味しいー しかし、走り後、お腹がきつい ほど でした。
その後、パレットの丘へ ー