小樽2
少し更新があいてしまいました。
毎日のように活動をしているのですが、更新するタイミングで寝落ちして
しまっています(笑)
平日は朝から活動し、たいていは午後3時から仕事モードに移行し午後11時
ごろに帰宅し…バタン…
週末はかみさんと行動…(今年度から、かみさん健康計画も家族の課題?)
昨年度までの6年間の周期が終わり、今年は足下を少し見てみようという年と
思っています。家族の状況にあまり左右されずに勝手をしているつもりだった
のですが、完全にはそういうわけにはいかないようです…(^^)
さて完全に忘れないうちに
最近のことから更新していきたいと思います(自分の記録用が主ですみません)
前回の小樽は、『小林多喜二と小樽』のようなテーマで訪れました
(蟹工船も未だ読んでいない自分が多喜二を語ることは、?ですが…)
当時北のウォール街と呼ばれたほど栄えた小樽で、北海道拓殖銀行小樽支店に
就職した多喜二。前の小樽のブログの写真の最後から5枚目はその拓殖銀行の
建物です。当時と変わっていないそうです。その前の写真はその多喜二のデスマスク
が今でもある小樽文学館。数年前に見て、当時の多喜二の母のやるせなさのような
ものを感じたことを覚えています。さらにその前の写真3枚は、当時の日本銀行旧
小樽支店の写真です。今は金融資料館になっていて、午後2時から職員の方から
とてもおもしろい説明が聞けます。当時の様子を想像して、タイムスリップをする
ような思いでした
この小樽で、一方ではエリートとして拓殖銀行に勤め、一方では当時の社会の
不条理を引き受けたような田口タキと出会い恋人となります。
この出会いの後に彼はプロレタリア文学の代表的な作家となっていきます。
タキも多喜二も当時の小樽というものがあって…と思うと感慨深いものが
あります。
ちなみに、そのタキさんですが2009年つい最近ですが、横浜で
102歳でお亡くなりになったという報道がされました。
昨日も小樽に行ってきましたが、それは次のブログで…
m(_ _)m