外国を自転車で走る理由とサイクリングクラブ設立の理由
今日はウドンタニーに連泊なので身体を休めています。少し横道にそれて
外国を自転車なんて物好きじゃない?
なぜ?
に今思っていることを……
去年、ある方からなぜ札幌サイクリングクラブをつくろうとしたのかと聞かれたのですが、そのことにも少し触れてみたいと思います。
今連泊していて何か物足りない。ムズムズしています。体力を増すためには、適度な休養も必要だと分かっているが落ち着かない。
逆に朝の走り出すときの高揚感は今でも変わらずにあります。これからの事への好奇心でしょうか。自分の心身も含めて、『向き合いたい、見たい』という思い。
そういう楽しみ、喜びを継続的に得るために必要なものは、感性だと思っています。
そしてそれを阻害するものは、例えば疲れ……疲れて何もかもが嫌になってくる……無感性になってくる。見えているのだが見ようとしない。そうならないために体力をつけていきたいという思いがあります。体力がついてくると、ただ座っているのだけで景色が自分の目で観察できる適度なスピードで移り変わっていく経験ができます。またこの道はこんな走りをしていこうと仕組んで能動的な運動、楽しみができてきます。
もう一つその感性を阻害するものは、固定観念だと感じています。少し経験を重ねてくると、これはこういうものだと走らないうちから決めつけたり、少し走って決めつけたりしやすい傾向があります。旅行をしていてもその傾向には気をつけなくてはといつも思っています。(例えばこの国はこうだ!と決めつけやすくなったり……)
固定観念からなるべく遠くなるためには、人との関わりを多くしたり、じっくりと読書をしたり(旅の方が日本の書物を読む時間を持ちやすかったり…)、旅のなかで感謝する心も忘れないように…と心がけています。
ピンチのときにニヤニヤしようと決めているのも、楽しそうにすることによって新しいことを受け入れやすくしたり、末にほんとに楽しめるようになるため です。
自分としては旅だとそういう原点にもどりやすい傾向があります。
なぜ自転車なの……?
前にオーストラリアに自転車を持っていかずに何日も滞在したことがあります。しかし決められた観光地をまわるだけで、暇でしょうがなくなりました。やはり普通の街を自転車でまわる方が圧倒的に刺激があるのだと分かってしまいました。少なくとも自分には……。
自転車は他の交通機関にない自由さがあります。そして道途中で何度でも変更できる自由さもあります。自ら企画していかざるをえない状況になりやすい。
一方自転車にトラブルはつきものです。機材の故障、気象状況の変化、道の変化、身体の不調……
そういうカオスが楽しいと今感じています。ツアーや大会参加でなく、自分で決めたコースを、却って現地の言葉を喋れなくてそのカオスの中でなんとか対応する経験が楽しいと感じています。
そういう環境のなかでは、否が応でも自分や困った事象を俯瞰して見なくてはいけなくなります。ニヤニヤとする心境が身につきます。そういうなかで対応すると、なるほどねーという経験がつめて楽しくなるという心境でしょうか。日本人である自分の特徴も見えてきたりして…楽し
昔旅では人は成長しないと昔のブログに書いたことがあります。旅ではなくて、自分がオドオドしてなんとかかんとか対応していくこと、それを楽しんでしまうことで成長するのではないか…と書きました。
そして自転車だと、普通の観光と違って現地の人の態度が少し違うなあ…という経験も多くしました。どこの国籍の人でも気軽に声をかけていただいたり、どこか親近感をもって対応してくれる…それも良さかなと思います。
自分で企画しての海外での自転車旅は
広い視野、自由さの裏返しの自己責任、自立などの助けにもなり、そして楽しいと感じています。
サイクリングクラブ設立の目的みたいなものですが、
自転車の何か大会にむけての組織はあるかもしれません。わたしもいろいろな組織を経験させてもらいました。
自転車の大会は、いわば自転車のお祭りのようなものです。お祭りに向けて、こうしていこうと目標を設定すれば、モチベーションも上がります。しかしそれは一過性のものになりやすいです。受け身になりやすい。そして気をつけないと狭い世界のなかで頭が固くなりやすい傾向もあります。
自転車は
自分で設定できることの自主、自由さを基にするもの
感謝し謙虚で広い視野がもてるもの
自立できるもの
安全に寄与できるもの
そしてふつうのもの(自然や人との距離感の近いもの)
という思いがあります。
サイクリングクラブもそんなふつうのクラブが一つくらいあっても良いじゃないかというのが設立の主な趣旨です。(偉そうに言えば……)
大きくしようだとかこちらが意図することではないと思っています。存在意義があるのなら残っていくでしょう。ただそこに、ぶれずに存在しているだけで良い。
幾多のサイクリングクラブが存在しては消えていきました。
長く続けていくためには、無理をしないこと。
そこにあり続けて、必要な人に利用してもらう、
必要ならばお互い刺激し合い視野を広げることに寄与する
安全で家族団らん健康に寄与する
自立したサイクリスト育成の一助になる
ことを願っています。
だらだらと偉そうに書いてきてしまいました。
このへんで……
(^_^)