歩いたりまわしたり Walking and turning

I like walking and turning pedals all the time.

インド 歩く

インドの旅(戦い?)は空港から

デリーに夜中に着いてから、国内線に乗りかえる。国内線の空港は10km

離れたところにあるのだが、当時はかる~く拉致られて、へんなパック旅行を

組まされるということが横行していたそうで…。(と聞かされていました)

ガイドブック等でバス停を何回もシミュレーションしたが、そこにはバス停はなく…

国際線の空港を、3時間以上も徘徊し最後はあきらめて、明るくなるのを待ちました。

その後

意を決して、あるタクシーと国内線の空港まで料金の交渉をして乗り込みました。

20で行くということで安心していましたが、降りるときになって20ルピー(当時40

円)ではなく20ドル(2000円)だと言いだしてもめる

一事が万事 こうやってインドの日常がはじまった

 

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観光地の現地の人は

下で商売をして、2階や屋上に庭をつくり涼んでいるという印象

上から頭めがけて物が降ってくる!

 

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当時の手記から

そこを通ると必ず臭ってくる、尿の臭い、糞の臭い、なんだか分からない臭い。

生の臭い。
インドで感じた『生臭さ』
それに圧倒されるヤワイ自分。鶏肉が食べられなくなる
誰かが生臭さを担当してくれただけで、それを意識せずに食べていただけ だったと気づかされる。

 

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インド、バラナシで感じたこと
子たちが凛としている

 

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当時の手記から

バラナシでは生と死が身近にあるのかもしれない。
生きる力と死を受け入れる力
闘う力と受容する力
きりひらいていく力と受けいれる力

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この頭に爪楊枝を乗せたリキシャマンは、ほんと食えないオヤジだった

銀行に行ってくれと言えば、何かと理由をつけて自分のコネのある地元の有力者の

家に誘う。その家に招き入れられて(地元の人がお金を借りるためだろうか、廊下に

並んで座っている)、冷や汗をかかされる。レストランといえば…またコネのある…

それでいて憎めない性格 生きる力にあふれている…

それから駅で1時間以上もかかって、デリー行きの切符をとり宿に帰る。

 

その夜にとった食事がいけなかった…強烈な腹痛と下痢、熱もありそうだ…

インドの洗礼をまたもや受けつつ翌朝 駅に向かう。

 

駅まで運んでくれたリキシャマンは、薬局に寄ってくれたり親身になってくれた。

しかし駅の近くで職員に、これ以上は入ってくるなととめられていた。

何かリキシャマンも階級があるのだろうか

駅で2階にある有料のベットを何とか探しだし、横になる。

列車も結局は、急な座席変更等があったが、そのおかげで2階の狭いが昼から

ベットになっている座席があてがわれ、ひたすら寝て一晩過ごす。一度も景色を見て

いないなあ。

 

 デリーに着く頃には体調も何とか本調子ではないが、回復してきた

 

当時の手記から

翌日、体調をくずしながらなんとか3等の寝台列車に乗り、デリーについた。

インドの首都の駅についても、地図や看板一つない。まずはトイレの場所を聞こうと横を見ると、身なりの良い紳士がニコッとしている。有料だったがトイレの場所を教えてもらい、用をたした後に顔を洗ったりと時間をたっぷりとかける。

おそるおそる外を見ると、やはり先ほどの紳士がまだいる…。紳士が後ろを見ている間にさっと外に出て、駅とは反対方向に歩きだす。その紳士はめざとく私をみつけ、『そちらではないよ!駅の政府観光局に案内してあげる。』 『いやいいんだ。私はこちらがいいんだ。ありがとう。』なんとか早足で振りきる。

その後、リキシャマンに交渉をしようと足をとめると、あっという間にリキシャマンに囲まれる。『メインバザールをずっと行ってくれ。いくら?』 『40ルピーだ』『俺は30ルピーだ』『20ルピー』 体力的にも限界で、適当なところで妥協をし、一人のサイクルリキシャに乗る。しかし途中でまた後ろを向いて話しかけてくる。あ~またこのパターンねェ。(T_T) 途中でとまらせて、道行く人にメインバザールにある、その旅行会社の場所を聞きながら行く。ようやくあって降りるときに、そのリキシャマンが案の定言う。『ノー!!! one hundred 20ルピーだ!!!!』 『ワ、ワ、ワン、ハンドレット~』一瞬興奮したが、笑ってしまった。あとから、あとから、手をかえ品をかえ攻めてくる。もう負けたよ。
相手の肩をたたき、『わかった、わかった。』と30ルピーを笑いながら払う。一言、二言、何か言っていたが、かまわずにそのビルに入っていく。入るときに後ろを振り返ると、そのリキシャマンはまだ私の方をむいていて、少しあ然としているように見えた。

 

 

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 当時の手記から

香港に来て安心した。看板はあるし、食べ物はあうしで。逆に英語がしゃべれなくなった。インドでも実はしゃべれなかったはずなのだが、なんとかEQ(Emotional Quotient)能力で、乗りきってきただけだとわかる。つまり一人で何としても自分の意志を伝えなくてはいけない場面が多くあったので、相手にこちらの真剣さが伝わり、相手がゆっくりと簡単な英語でしゃべってくれていただけだったということだと思う。インドの人は本質的に優しいと感じました。帰ってきてから、ラジオ英会話を聞いて勉強しています。遅い?

インドは、こちらがオープンマインドになっていれば、いろいろなことを感じることができる場所だと思う。総じて、清濁がわかりやすい。隠さず見せているように思える。もちろん日本にだって、変わらず清濁はある。しかしそれを隠すか隠さないかだけだと思う。インドはそういう意味で、わかりやすい場所だった。インドは決して欲に対してストレートだというだけでなく、運命というか宿命に対しても、それを受け入れつつ精一杯生きている人が多くいる場所だと感じた。私には欲をストレートに出すお芝居の部分と、すごく謙虚な部分(人に対してではなく、宿命や神に対して)両面を感じた。日本では行動の規範が、対人であり、インドでは対神なのかもしれない。

はじめ車の運転一つ見ても、そのめちゃくちゃさに、どこで調和というかバランスがとれているのだろうと思ったが、つまり日本人は自分勝手なことをすると相手に迷惑をかけるからいけないのだと教育されて育つように思えるがインドでは、車の通行一つでも私から見たら自分勝手のように見えたのだ。しかしそれでも、妙なバランス・調和がある。見ていても美しい。どこにそんなものがあるのかと、すごく興味深かった。しかし私ていどでは、そのバランスはわからないと思う。あちらには、自分勝手だけではなく、何事にも宿命ともいえる、あきらめにも近い、謙虚にならなくてはいけない現実もあるのかもしれない。例えば宗教であったり。ほんとうに理解するには、私では無理だろう。

幼稚園に通う途中の女の子を見て、こちらがかわいいなあと思っていたら、狭い路地を野良牛が立ちふさがって通れなくなっているときに、その子が大声をだして追い払っている様子を見てびびったり、写真売りの少女の『ノー』というはっきりとした意思表示を受けて感心したり、ガンジス川の上流に40分以上歩いて行ったときに、人の肌の色が上流に行くにしたがって黒くなっていく現実に驚き、そしてほとんど観光客が来ないそこで花売りをしている子たちとふれ合って感じたこと、英語や母国語のヒンディー語が読めない書けないリキシャマンで、それでも何とか意志が伝わり、自分が下痢をして困ったときに薬屋に連れていってくれたりと思い出が多くあった。