旅の総括1 仙台で感じたこと
旅の総括を何回か書いてみたいと思います。
一回目は仙台
今までの自分の教育の柱が間違いでなかったのを再確認させてもらった。
一言で言って、教育とは将来の個々の伸びる芽を培うこと
5年先、10年先を考えること‥
子たちを決して根無し草にはしない!という大人の強い意志を感じました。
例えば
震災の悲惨さで、それを見ないように避けるようにする人たち(実際に震災を体験しなかった人たちも含めて)がいる一方で、全く逆の行動をする人たちもいます。
例えば
私のブログの後半半分は、震災後の子たちの活動の写真です。
極端に言うと私は震災という事実よりも、その後の当事者の行ったことに注目しました。
反対意見もあったでしょうに、その後の教育は震災に関わる教育をしました。決して震災を忘れる教育ではありませんでした‥
最後の写真はそれを象徴しています。
それを見て、我々大人が、
『震災 なぜ失われた街の模型づくりをするのか』
をネットで検索をかけても、その目的がのっています。
私はその検索をかけることができる人が学力のある人だと思っています。少し極端でしょうか?
検索をかけてみると、決して仙台だけでなく、神戸でも‥いろいろな場所でこの作業が行われていることがわかります。
その検索した記事を読んで、
共感する人もいれば、それに反対する人もいる。
そんなきっかけに、私のブログがなれば‥
と思っています。(はかない願いですが‥)
私がブログにのせるのは、上の目的よりも自分のために残しておくことも重要な目的ですので、偉そうにも言えないのですが‥
職業病で、どうしても言葉足らずになってしまいます。
それは言葉足らずの方が、人の得るものが大きいからです。
自分の思いや願いをすべて説明してしまうと、何もかもがパーになるという意識が強いからです。
自ら得ようとしないと、なにも変わることはできない
これは、初期の頃の私と今の私で大きく変化したことでしょう。
それにより私が冷たい人だと感じる方も多くいるだろうな‥と思います。
m(__)m
しかし、上の考えは
この10年間、私と関わった人(子たち)は当然知っています、
例えば『勉強するのが嫌ならやめれば‥』『あなたは何がしたいの?』
と言い続けてきました。
しかし、私の学習塾はそれでつぶれませんでした。
(残る子たち、支持してくださる保護者の方々がいました)
自慢ではなく、私がすばらしいのではなく、子たちがすばらしい。親御さんがすばらしい。人の生きる力がすばらしい‥と思います。
それを私はまざまざと実感させてもらった、幸せな時間でした。
マイナスも含めて、何かを経験したからこそ! と変える力が、確かに人にはある‥と今回も感じました。