死を意識して 自転車を走る。外国へ行く。
inainaさん。どうして逝っちゃったの‥ - 歩いたりまわしたり
2年前の3月15日朝6時過ぎ ニュージーランドで。
なぜと、自分なりにいろいろと調べました。
当時日の出が午前7時過ぎ。現場はグーグル地図で見る限り路側帯が不整地で片側一車線ぎりぎり。この数キロだけが特に悪い状態。そこに後ろからトラックが。
リタイアした後だったそう。彼のことだから、このポイント場所に何時までに着かなかったら、こういう状況だったらリタイアしようと予め決めていたと思う。彼はその後のエスケープルートさえ調べ上げていくような方だった。それなのに…それだけに…
一時期濃密なお付き合いをさせていただきました。
しかし途中で袂を分かったような気がします。
カナダでの走行の資格をとるために、国内で立て続けに300キロ、600キロ、400キロ、200キロの走行会をしました。
その全てが雨中、ときには暴風雨での走行。2回の落車、肋骨骨折、桜島噴火、パンク、マシントラブル。
それらを乗り越えて完走して資格をとったのは良いのですが、今はじめて言いますが私のモチベーションはすっかり減退し、カナダには行きませんでした。身内の不幸もありましたし。
一方、彼はカナダに行き、海外で走ることに、なにか一つミッションを達成することにやりがいのようなものを感じたのでしょうか。どんどんと海外で走行会をするようになりました。
『自転車は趣味ではないな』と彼が言ったことがあります。彼は、どちらかというと企画するのが好きだったり何か使命感のようなものを感じつつ行動される方だったような気が、今振り返るとします。
私は単に自転車が好き…にもどりました。外国で知らないことを観察するのも好き。
自己責任をつきつめるならば、大会でなく自己責任と言うならば、そのような走行会ではなく、行く場所もルートも全て自分で決めて行くべきだろうと…悲しみのなかで…なんとなく今は思っています。
そして今彼と同じような、少し隠居の身になって、
いろいろ感じることがあります。
例えば、事故や強盗や事件…
どうしていったらいいのだろう
ヨーロッパに行ったときも、今回の東南アジアでも意識しています
そこをしっかりと意識して、走ろう、外国に行こうと思います。