自転車旅は想像以上に自由で楽しいです!
自由だと思う世界をまわるバックパッキングの旅でさえ、交通機関に左右されてしまうし、宿泊場所もほとんど決まってしまい会う人も限定されていく。どうしても点での触れ合いになってしまい、その間はレールの上の移動になると感じます。
それに対しての自転車は、移動の過程までが自由になり、代りに自分で考えることが飛躍的に多くなります。自転車はステルスキャンプ中心に世界をまわっている人の方が多いのではないでしょうか。現地の人との交流も嫌でもしなくてはいけない場面があります。言い方が悪いですが、そこに住む普通の人の生活を覗き見しながら移動します。
相手も自転車で来た人は無意識に弱者として認識しますので、警戒感も薄れ人との垣根も低くなります。
自然に対しても、なんて表現して良いのでしょうか。確かに他の方法で来たときと違う感覚にとらわれます。
これらはその人だからそうなるというよりも、自転車だから自然とそうなると言ったほうがよいと思います。
自転車ってこんなに自由なのに、
なぜ、枠にハマるようなことばかりするの?これはこういうものだ!こうした方が良いよ。??プライドだけが強くなり、マウントをとりあう。大会にだけ出て…あーだ、こーだ。固定観念ばかり強くなっていく。
一度、自分でコースつくってみたら?
私も教えることを仕事にしていたので…
『教育をつきつめていくと、教えないことが最高の教育』だと思います。
語弊がありますが、いかに自分で考える楽しみを残してあげられるか…だと思います。
先日教え子からメールがきました。
『今壁にぶつかってみて、はじめて主体的に選択したことがなかったと気がついた。
へたに小器用だった。あれ、これって先生に説教を受けてたやつだと思って連絡したいという衝動に至りました』
と書いていました。
彼とは当時5年間もつきあってきました。能力的に高い子でした。しかしちょっとした約束を守らない。自分が何かを望むまで、半年ほど待ちました。
半年後、お母さんが私に電話をかけてきて『息子が、先生は僕にだけ教えてくれない…と言っていると』
決して教えていないわけではなく、他の人と比べて結果だけはでているので、少しの指導ですませていました。それを彼は不満足だと感じるまでになってきたということだと思います。
私はお母さんに対して失礼ですが大笑いして、それからお母さんとの交流がはじまりました。
彼は説教と書いていますが、それでは乗り切れないぞと言った覚えはあります。
私は現在の彼に、『順調ですね。自分で考えないと乗り越えられない、前にすすめない場所にいられるなんて幸せですね。君がそういう場所に行ったなんて能力のある証拠ですね』と返事をしました。
『先生はいま何をされているのでしょうか。ニヤニヤした生き方を散々語っていた先生ならどんな状況下であっても、楽しみを見出して過ごされているのかなと勝手に想像しています。』という彼の言葉は、私への最高の贈り物でした。
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